歪曲談集

竹島愛弓 談話

interview with ayumi takeshima
by norihiro higo (mary joy)




竹島愛弓
photo by Eisaku Tokuyama

------愛弓さんがバイオリンを始めたのはいつ頃なんですか?

竹島愛弓(以下A):正確には3歳になる3日前からと聞いています。それから10歳くらいまで、近所の音楽教室に毎週通っていました。

------3歳とは早いんですね。

A:レッスン中に良く昼寝をして楽器を落としていたと聞いています。

------幼少期は、クラシック音楽も含めて、どんな音楽に興味がありましたか?

A:ブーニンとか聴いていましたね。当時流行りの。でも父親はジャズやムード音楽?が大好きなので、家ではむしろクラシックではない音楽の方がよく流れていたかも……。父は社交ダンスを大学時代からずっと趣味として続けているので、その関係もあるのかな。父と母が自宅のリビングルームでいきなりチーク・ダンスを踊り始めたり…… 変わった両親でしょう?

------ステキなご両親ですね。ちなみに小さい頃から好きな作曲家はいるんですか?

A:ラヴェルとかドビュッシーとか、フランスものは好きです。でもブラームスの美しい旋律や和声に涙することもあるし、ピアノも勉強していたのでやっぱりショパンは大好きな作曲家の一人です。
 ニューヨークに住み始めてから(アストル・)ピアソラを知って、こんなにエキサイティングでセクシーな作曲家がいることに驚きました。ピアソラとの出会いは確か私がマンハッタン音楽院に入学して間もない頃、誰かのリサイタルで聴いてびっくりしたのが最初でした。日本ではヨー・ヨー・マがCMでリベル・タンゴを弾いてすごく有名になっていたみたいですが、そんなことは知らなかったので、友達に興奮してピアソラのことを話したら既に知っていたのであら……って感じでした。

------なるほど。クラシック以外の毛色の違う音楽を聴いたりしましたか?

A:ダフト・パンクとかFlaming Lipsとか……、あとはスティーブ・ライヒとかも好きかなぁ。私がUCバークレーに通っていた時はライヒが学校に来てセミナーをしたり、ヨー・ヨー・マのシルクロードプロジェクトが来たりしてとても幸せな環境にいたなぁと思います。NYの大学院時代は現代音楽にもどっぷり漬かりました。

------その頃に出会ったそういった音楽は、ミュージシャンとしての自分にどんな影響があると思いますか?

A:学生時代は現代音楽だけでなく、ダンス系音楽やジャズなどにも大きな影響を受けました。クラシック音楽というものに対する姿勢が変わったと言ってもいいかも。ダンス・ミュージックやジャズを勉強したり聴いたりすることで、リズムに対する感覚や意識が変わったと思います。クラシックだけを演奏していたら、グルーヴがいかに音楽を支えているかということに気付かなかったかもしれません。なんていうか自分自身のinternal rhythmをもっと聴くようになりました。

------なるほど。そういったユニークなスタンスは、シンゴ02との音楽的な出会いとも関係していると思いますか?

A:シンゴさんとの出会いはもう10年ほど前にさかのぼりますが、今考えても面白い出会い方だったなぁと思います。私が大学3年の時だったと思うのですが、サトシさんっていうUCバークレーの日本人学生みんなのお兄ちゃんみたいな人がいて、彼のお家でパーティがあった時に「ちょっとバイオリンを演奏してよ」と言われ、楽器を持っていったんです。で、みなさんの前で数曲演奏したのですが、その時にシンゴさんも居て、演奏が終わったらつかつかとこちらにやってきて「僕シンゴと言います。僕も音楽やってますんでよろしく」みたいなことを一言言ってどこか行っちゃったような気がする……(笑)。
 その時は確かそれだけだったのですが、後日電話があってバイオリンの音を聴いてみたいので今度ウチのスタジオに来てくださいよっていう話になって、当時の彼のおうちにお邪魔して、実験的な音とかを沢山録音しました。

------シンゴがエル・セリートに住んでいた頃ですか?

A:そうそう! で、その時は“Five Seasons”っていうタイトルの音楽を作りたいと思っていたらしくて、そのプロジェクトにバイオリンを使いたいって言っていました。当時はカセットに録音したんですよ。

------その“Five Seasons”という曲はその後、どうなったんでしょうか?

A:どうなったんでしょう? シンゴさんに今度訊いてみてください。とても面白いコンセプトだったと思います。

竹島愛弓
photo by shogo takeda

------2000年に「緑黄色人種」のインスト+写真集「別冊 緑黄色人種」の為のレコーディングで “ひとつになるとき”という曲にバイオリンを入れて貰いましたよね。

A:“ひとつになるとき”はシンゴさんと出会って1年くらい経った頃に録音したような気がします。当時のシンゴさんの音楽仲間のおうちで録って、その後、韓国料理を食べに行きました。

------ちなみにその頃、愛弓さんはシンゴに音階とか教えてましたよね?

A:そうです! 私が白紙に鍵盤の絵を書いて、半音と全音の並び方で長調と短調が決まるんです……、とか教えて。すごーい発見をした!と言わんばかりにふむふむと聞いてくれました。シンゴさんが発明したフェーダーボードのアイデアは私と色々と話している過程で思い浮かんだんだと思いますよ。

------あれはある意味、愛弓さんが発明した、くらいな感じですね(笑)。

A:ま、そうですね、なんちゃって(笑)。……それで、DJをする時にハ長調の曲とハ長調の曲を一緒に合わせたらどうなるんだ? とか、とにかく音階に関してすごい興味を示していて。そういえばフェーダーボードを作る前に、小さい紙を工作して、いくつかの円を回転させると音階と音階の関係や和音が一目でわかるようなものを作っていました。商標登録したいんだよねって話をニューヨークのデリで絞りたてオレンジジュースを飲みながら話したのを覚えています。子ども達にこれを配ったらすごく興味持ってくれると思うんだよね!って目をキラキラさせてお話していました。

------愛弓さんがニューヨークに行ったのは、“ひとつになるとき”のレコーディングの後くらいですか?

A:そうです。2002年にニューヨークに引っ越して、マンハッタン音楽院と言うところで修士を取りました。音楽家としてプロの道を目指すことは漠然としか考えていなかったのですが、大学院に入った以上は吸収できることは吸収しようと思ってクラシックだけでなくジャズも少し勉強しましたし、いろんなコンサートやオペラ、演劇にも行きました。24時間音楽漬けの生活でした! で、卒業してからはフリーランス・ミュージシャンというか、ありとあらゆる音楽に関係することをしました。レコーディングも沢山したし、ロック・バンドにも参加したし、オペラ、ミュージカル、現代音楽、演劇、マジシャンとの共演、琴奏者との共演、サーカス、ゴスペル礼拝、セントラルパークで演奏、などなど……。毎年夏は音楽祭にも参加していたので、色んな土地に数ヶ月住みました。毎日色々あって本当に楽しかったですね。その間子どもに教えたり、マイアミのオーケストラで半年ほど演奏したり、オーケストラのオーディションを受けに行ったりもしていました。

------本当にいろいろなことをしていたんですね。『歪曲』の中で“殴雨”とか“銃口”のバイオリンを録音したのも、愛弓さんがニューヨークに住んでいた時代でしたよね?

A:はい。私がニューヨークに住み始めて間もない頃だったと思います。ブルックリンの穴ぐらみたいなところで録りました。面白かったなぁ……、色んな音を出して。

------『歪曲』のレコーディング・セッションでは『緑黄色人種』の時代と比べて何か違う印象を持ちましたか?

A:『緑黄色人種』の時は、「この音をこういう風に弾いてください」と、言われるままに弾いたという感じでしたが、『歪曲』のときは「一緒に作りたい」と言う姿勢が終始一貫してあったというか。“殴雨”のループ以外は私が提案したものをシンゴさんが選んで使う、と言うような感じだったと思います。

------サンプリング・ソースを提供してほしい、って感じではなかったってことですね。

A:そう、だから“序”のバイオリンも、元々あった音源を聴いてインスピレーションをもらい、私がサンフランシスコに遊びに行ったときに録音したんですよね。

------“序”のバイオリンは、すごくのびのび弾いている感じが出ていると思いました。“美獣”の中でも、もう一度ソロとして出てくるのですが、哀しげですごく素敵でしたよ。

A:ありがとうございます。あれは森の中で狼に囲まれているイメージです。

------あ、そうだったんですね。ちなみにそういう、レコーディングの時点での過去作との姿勢の違いが『歪曲』全体にどのように影響していると、愛弓さんは思いますか?

A:何だろう……、1+1が2でなく、色んな化学反応が起こって3にも10にもなっていると思います。普通薩摩琵琶とバイオリンが一緒に演奏することなんてないじゃないですか。

------“玉響”ですね。

A:はい。で、シンゴさんは必ずその場に立ち会っている。シンゴさんという軸があって、その周りに音楽家がいて、シンゴ――音楽家という線がいくつもあるんだけど、それらの線が沢山存在することによって立体感が生まれるというか、音楽に奥行きや深みが出るというか。でも最後のところはシンゴさんがつかんでいるから、シンゴ・カラーは失われていない。

------それって、オーケストラに携わったことある愛弓さんからしても、面白いことなんですか?

A:そうですね、オーケストラで言う指揮者ですね、シンゴさんは。そういえばバンドとリハーサルしている時に彼もそんなこと言っていました。僕は指揮者になりたいんだ、って。だからライブで他の音楽家と演奏したときは本当に楽しかったです。

------はい。ところで『歪曲』で愛弓さんといえば、やっぱり“殴雨”が印象深いですね。

A:“殴雨”の録音は、トラックを聴いて、ちょっともの悲しい感じがして、するする……とアドリブで演奏して、その中からシンゴさんが(あのテイクを)ピックアップした感じです。(2005年の6月に代々木公園で行われた)Geshi Fesでシンゴさんが“殴雨”をライブした時に、すごく反響があったと聞いてとても嬉しかったです。その時に「愛弓さんいつかライブ出てよー」と言われて、そんなことできたらほんとすごいなぁ、って他人事のように思っていました。

------それが今ではとことん付き合わされていますね。そういえば愛弓さんが初めてシンゴのライブに参加してくれたのは、確か2006年の8月に新宿ロフトで行われたレベル・ファミリアのパーティでしたよね。

A:そうです! あれは私にとっては衝撃的でした。すごく楽しかったし、レベル・ファミリアさん、素晴らしかったです。あんなに夜遅くに演奏したのも初めてでした(笑)。(Shing02のライブには)前々から誘われていたのですが、私がN.Y.に住んでいたので。あの時は一時帰国でタイミングが合って、出演することになりました。

------あのライブの二日くらい前に、シンゴがバイオリンのライン出力用のピックアップを買いに行くのを見てしまったので、また急な話かと思っていました。

A:あはは。あ、でも急な話だったような気もする……。ピックアップはシンゴさんがプレゼントして下さったんですよ。

------その次は、全国ツアー“歪曲巡礼”の半年前の2007年12月に、神戸の“月世界”で行われたShing02 + DJ A-1ライブに参加して貰いましたね。あのときの“ドレミの歌”や、“Luv(sic) pt2”もやっぱり愛弓さんが魂いれてくれると違うな、と思いました。

A:“月世界”のライブも楽しかったですよね。あれがDJ A-1との出会いでしたね。“Luv(sic) pt2”も大好きな曲で、“栞”も本当に美しいと思います。ライブだからこその醍醐味というか。

竹島愛弓
photo by takashi hirama

------全国ツアーの時は、愛弓さんが参加の公演では必ず“栞”を演りましたね。ところで愛弓さんって、ツアーの時なんであんなタフだったんでしょうか? みんな「具合悪い……」とか言っているのに愛弓さんは昼の仕事もしながらライブにも来てくれて……。あの根性とスタミナを見せて貰ったので誰も文句を言わなかったですよ。

A:そう? それは良かった。いや、自分でもあれはなんだったんだろう?って思います。楽しいことをやっている時って疲れの感じ方が違うのかも。でも全公演廻ったシンゴさん、モトキくん、DJ A-1、肥後さんはもっとしんどかったでしょう……?

------もう覚えていないですね。愛弓さんとしては、そんな夏のツアーを振り返ってみてどうですか?

A:ふとした時にツアーのことを思い出しては、くすくす一人で思い出し笑いしたり、感慨深く思ったりしています。でもそれだけではなくて、あの時に学んだことが仕事や自分の音楽にもすごく活きている気がします。

------それはよかったです。愛弓さんの今後の音楽活動を教えて貰えますか?

A:(‘09年)4月12日にピアノトリオ(ピアノ、バイオリン、チェロ)で小さなコンサートを企画中です。6月21日はティアラ江東にて、弦楽六重奏で演奏会をします(竹島愛弓さんのコンサート情報の詳細は決まり次第、Mary Joy/歪曲ブログに掲載します)。

------最後になりましたが、先ほど「自分の音楽」と言っていましたが、愛弓さんと、自身の音楽の繋がり方というのは、どのようなものなのでしょうか。

A:音楽は私の生活になくては生きていけないもの。水のようなものです。実際に音楽がかかっていなくてもinternal musicはいつでも心の中に存在しているけれど、やっぱり音楽を通じて人とつながることもできたから、音楽の神さまに感謝。

------次の歪曲ライブでは新しい愛弓ソロを期待してますよ。

A:そうですね、がんばります!!



歪曲談集 目次へ戻る。

歪曲公式ページへ戻る。