歪曲談集

林田涼太 談話

interview with ryota hayashida
by norihiro higo (mary joy)




林田涼太

------音楽との関わりは色々あると思うのですが、どうしてエンジニアの道を選んだのでしょうか?

林田涼太(以下H):まあ小学生の頃から録音が好きだったってのがあってね。父親がジャズ好きで、家にそこそこ立派なオーディオ機器があって、それをいじっているうちに録音が面白いなと。それで、電池で動くラジカセを持って外にフィールドレコーディングしに行くんですよ。

------ジャズより録音に興味を持ったんですか?

H:ジャズには興味なかったのね(笑)それより録音することに興味を持って、家にあるものを使っていろいろ録音してた。犬の吠える鳴き声とか車が通り過ぎる音とか、小学生なのであまりそんなたいしたものじゃなかった。

------いわゆる音楽とはどうやって出会ったのですか?

H:小学4年生の時にたまたま「さだまさし」って人の「雨宿り」って曲を聴いて、これがちょっとしたコミックソングに聞こえて面白いなと。それでニューミュージックを聴くようになった。

------ニューミュージックを聴き始めて次はどうなったのですか?

H:僕にとって今でも鮮明に記憶している衝撃的な出来事があって、僕は当時からそんなに友達がいる訳じゃなくて、そんな中でもとても仲良くしていたK君という友達がいてね。彼には上に兄弟がいるおかげで、いろいろませた音楽とか知っていたわけ。女体の神秘についてもいろんな情報を持っていて、いろいろ女ってものはこういうものだとか知ったかされてたわけ。

------はいはい(笑)

H:でね、彼はまずハードロックに目覚めてレインボーとか、KISSとか聴いてたんだけど、さだまさしみたいなしんみりした音楽を聴いている僕には全く興味がなかった。そんなある日、K君は僕のうちに来て「これ面白いから聞いてみろ」とカセットを持ってきた。どうやらK君の兄貴の持ち物だったんだけど、そこで聴かせてくれたのが、当時まだ出たばっかりの Kraftwerk の Man Machine! これが異常に刺さってしまって。1979年のこと。

------林田さんの人格が形成される頃の話ですね

H:それまでニューミュージックのフォークギターの音しか耳にしてこなかったのに、とつぜん「シンセサイザー」という得体の知れない電子音を聞かされてすごい!と思った。ほんと衝撃的だった。K君は「これはなー、人間が弾いているんとちゃうねんで、機械が演奏してるんやで」と大阪弁でまくしたてて、「へえ、すごいなー」みたいな。(笑)

------それが林田さんとシンセの出会いだったんですね。

H:さだまさしとは全く違うんだけど、拒否反応は全くなくて、これが俺の求めていた音楽!って感じがした。それでまだCDもなかった時代だったけど、Man Machine(邦題:人間解体)を買いに行ったわけ。さだまさしの「道化師のソネット」の次にかったレコードがそれ(笑)

------ほんとうに、さだまさしさんの次だったんですね。ちなみにYMOも79年頃じゃないですか?

H:そう、当時フジカセットのCMに出演していて、でも正直それはぴんとこなかった。なんか耳障りがよすぎて。小学生の僕には普通の音楽にきこえたのね。

------っていうか、ここまではまだ小学生だったんですね……

H:うん。6年生。だってさだまさしが4年生だから。そこで飛躍的な進歩を遂げたんですよ。進歩なのか、ほんとに。突然変異的な。そういう音楽があることもみんな知らなかったし。周りはみんな甲斐バンドか矢沢永吉だったな。K君はプログレまで聴き始めて、King Crimson とか聴いてた。これUKのバンドで今でもやっているんだけど、彼の子供用自転車には King Crimson のステッカーが貼ってあってその自転車で駄菓子屋にゲームしに行ってた。

------狂ってますね。林田さんもプログレをフォローしたんですか?

H:もちろん! まず Tnagerine Dream とか、ジャーマン・プログレッシブ・ロックね。

------Kraftwertkのようなテクノ音楽には行かなかったんですね。

H:いやいや、実は当時 Kraftwerk はジャーマンプログレの一員として考えられてた。シンセサイザーを使う音楽なんてものは、もちろんテクノという名前もなかったからプログレッシブな音楽だったわけ。それに Kraftwerk の1stアルバムはプログレの香りがするし。プログレの人だったんだ。

------Kraftwerkを聴いてキーボードやシンセに興味もったんですか?

H:それはごく自然ななりゆきで、そうなったよ。K君が何かの雑誌からシンセサイザーの広告を見つけてきて初めてシンセサイザーというものを写真で見た。覚えてないけどたぶんYAMAHAのCSシリーズ。やたらつまみがついていてわけわかんない。

------当時は高価だったんですか?

H:23万円くらいしてたと思う。当然小学生には手が出ないでしょ。とりあえずローランドとかコルグってメーカーがあるってことがわかって雑誌で得た情報をもとに資料請求し始めた。

------インターネットがある今と比べると情報収集も大変そうですね。

H:当時のコルグは郵便切手同封でカタログを送ってもらうと、中にシンセサイザーの使い方の小冊子とかステッカーがいっぱい入っていてほんと、宝物をただでもらったような感じだったよ。とりあえずそのカタログを眺めてシンセサイザーのあこがれを増大させていったわけ。

------実際にシンセを手にしたのはいつですか?

H:えーと高校1年生。

------最初に手に入れた機種は何だったんですか?

H:KORG MONO / POLY。お年玉を何年も貯めて、足りなかった分を父親に入学祝いと言うことで出してもらいました。それまで持っていなかったのに、手に入れたときにはシンセサイザーが完璧に使えた。

------なんでなんですか?

H:コルグの小冊子とかを穴があくほど熟読していて、脳内シンセサイザーで完全にイメトレができあがってた(笑)

------それ、ホントですか?!

H:ほら、中学生で暇だから明けても暮れてもシンセサイザーのことばっかり考えてて、猿みたいに妄想がループしてた。

------ピアノやオルガンを習ったりしたことはあったのですか?

H:ぜんぜん。家にオルガンがあったけど、たいして弾いたこともなかった。でも中学1年生の時にK君とバンドをはじめたのね。二人とも楽器はなくて、おもちゃのキーボードとゴミ箱をたたいたりして、それを録音してた。

------録音してたんですか? そこが味噌ですね。

H:何曲も録音して、今でも一部は残っているよ。

------まじすか? ちなみにどんなレコーダーだったんですか?

H:ただのラジカセ(笑) 電子音が鳴るゲームとかあるでしょ。そういうのを使って作るんだよ。ゲーム機から出る音が飽きてくると中をあけて基盤の可変抵抗器を適当にいじり出すの。そうするとテンポとかピッチが変わって、すごく変な音が出てくる。それがシンセサイザーやってる感覚の代用だったの。

400 cover

現在も林田さんが愛機として使っている「PPG WAVE 2.3」
林田さんとビンテージシンセの関係性は、彼の運営するウエブサイト http://www.proun.net/でチェック。

------で、念願のリアル・シンセサイザーを手に入れてからはどんなことをしたんですか?

H:まずは人のコピー。当時は Depeche Mode というバンドが出てきて「エレクトロ・ポップ」というジャンルができはじめてた。ちょっと頑張ればコピーできるくらいの曲が多かったから、コピーはすぐできたよ。

------譜面があったんですか? それとも耳コピなんですか?

H:耳コピですよ。完全に。UKのインディーズのグループだったし、情報はほんと少なかった。

------バンド活動はそれからも続いたんですか?

H:うん。高校に入って、クラスメートにシンセサイザーを持っているやつが一人いて、彼とK君と3人で打ち込みバンドを始めたの。

------林田さんが高校の頃って、はっぴいえんどとかYMOとか全盛時代ですか?

H:はっぴいえんどの時代は終わっていて、どちらかというとYMO。YMOは好きだったし影響受けたけど、それよりもUKのインディーズのエレクトロポップのほうが影響が大きかった。いわゆる New Wave というジャンルの音楽。中でも一番影響を受けたのは Soft Cell という2人組のユニットで、彼らの音楽は僕の直接的なルーツになってると思う。

------彼らもシンセを使った打ち込みバンドなんですね。

H:そう。それをソウルとかのエッセンスを加えて、有機的なものにしたのが彼らが早かった。当時はまだシーケンサーで音楽を作るという行為そのものが異端だったから、僕らのやってることも全く理解されていなかった。僕の周りにはバンドをやっているやつはいっぱいいたけど、僕らの音楽は音楽としては認められていなくて、まー、オタクの一種としての扱いを受けてた。コンピューターっぽいし。

------日本ではそういうスタイルのバンドは他に居なかったんですか?

H:プロでいえばヒカシューとかYMOとかかな。やっぱり。シンセサイザーで音楽やってたのは。ただ僕らの聴いてた音楽はもっと洋楽っぽかった。

------坂本龍一さんの「B-2 Unit」が発表されたのはその頃ですか?

H:そうそう。あのアルバムは今聴いても新鮮。当時は僕もダブにはまってた。

------あのアルバムはイギリスのエンジニアがミックスしてましたよね?

H:あれはデニス・ボーベル。ダブのミキサーです。そういう実験的な気風がイギリスの音楽にはあったね。それがとても面白かった。

------そうなんですね。

H:僕はポップなものに対する違和感というのが常にあって、もっとアートとか実験っぽいものがやりたかったのね。もともと美術がすきだったから。芸術的なのがやりたくなってきた。

------どのような美術に興味を持っていたのですか?

H:当時はDADAとかロシア・アバンギャルドいう芸術にはまっていてマルセル・デュシャンとかカンディンスキーとかそういう世界に没頭してた。芸術運動っていうのかな。伝統主義の破壊みたいな。Kraftwerk の Man Machine のジャケットのデザインはもろにロシア・アバンギャルドのデザインセンスだった。ジャケットの裏の幾何学模様はエル・リシツキーというそれ系のアーティストのオマージュだったしね。Kraftwerk の影響でそういうものに興味を持ったというわけではないけど、最終的に自分の好きなものがあちこちでリンクしていることにある時気づいた。

------林田さんは現在はフリーランスのエンジニアですが、プロのミュージシャンになることは考えていなかったんですか?

H:全然。だってキーボードはへたくそだし。音楽でめしが食えるとは思っていなかったから。僕は大学には行っていないのね。高校の時にさんざん好きな音楽をやって、だんだんアナーキーになってきて、不良になったというのとは違うんだけど、周囲の連中がみんな目的もなしに大学へ進んでいくのが耐えられなかった。俺はやつらと違うというパンク的な精神が結構あって人生に目的意識みたいなのを掲げていて…… けどやっぱりそれはモラトリアムというか、あとで考えると若かったなと思うんだけど(笑) それで専門学校で音響の勉強をすることになった。

------その頃の精神のお陰でいまプロのエンジニアになっているわけですね。

H:それは自分の志が実を結んだと言うより、偶然そうなったと考えた方がいいと思う。実際僕は専門学校でずいぶん絶望したから。

------幾つか岐路があったんですか?

H:僕はもともと器用な人間じゃないから、会社に入ってサラリーマンになっても成功しないことは自分自身でよくわかっていて。

------フリーランスのエンジニアとして生計立てる前は、商業スタジオに居たり、出版業界で編集の仕事をされていたこともありましたよね?

H:商業スタジオに居たのは凄く短い期間で、出版業界の方が長かった。出版の世界にも入ってみて、そこが自分の居場所じゃないこともすごくわかった。雑誌の編集ってね、自分ではなんにもしない仕事なんだ。写真はカメラマンに撮らせるし、文章はライターに書かせる。デザインはデザイナーだし、編集って企画屋なんだよね。仕事の大半は電話で終わるんだ。箸袋の裏にちょこちょこっと企画を書くような仕事。もちろん人間をまとめるのが好きな人にはとても面白い仕事だと思う。だけど僕は現場で自分のペースでいろいろやりたい実践派だったことがわかった。

------それでエンジニアの道に行ったわけですね。

H:そういうとかっこいいけど、実際にはエンジニアに逃げてきたようなものですよ。みんなえらいな、ネクタイ締めて会社行って、ちゃんと仕事してる…… サラリーマンだった父親もそういう人生を僕に望んでいたし、だけどそういうものにどうしても手を出せない変な焦りがあった。

------レコーディング・エンジニアって音楽業界の中でも希少というか、それを極める、って言う人もそう多くないですよね。

H:そもそも間口の狭い、特殊な仕事でしょ、レコーディングって。うちの親だって僕がどんな仕事をしているか知らないと思うし(笑)

------特殊ですけど、エンジニアが居ないと音楽業界は成り立たないですからね。

H:うん。やってみると思ったより責任が重かった。

------たまに話しかけられないオーラを出しているエンジニアさん居ますけど、コミュニケイションがうまく取れる人じゃないと良い作品が出来にくいと思うんですね。

H:エンジニアはもともと技術職だし、厳しい徒弟制度を生き抜いてきた人がなしえる仕事だから。だけど僕はそういうプロセスを踏まずにエンジニアになれたのが他と大きく違うところかも。

------林田さんとはみんな気軽にコミュニケーション取れるし、アーティストの制作意図を理解して作業してくれるから信頼してますね。

H:そういっていただけるとありがたいです。

------いえいえ。世話になりまくりなんで。そもそも初めて Shing02 のレコーディングをお願いしたのは 2001年の「400」や「My Nation」の頃からですよね?

H:そう、もうそんなになりますか。

400 single

Shing02 "400" (2001 Mary Joy)
レコーディング/ミキシング・エンジニアとして参加していただいた。アルバムは2001年夏からレコーディングが始まり、9.11を経て2002年正月に完成。兵糧攻めにあっても笑いと話題の尽きないムードメーカーでした。

------「400」は約半年かけて日本でレコーディングしたんですが、レコーディングとミキシングを林田さんにお願いしていました。シンゴはその横で歌詞を(スタジオで)書いてましたね。

H:そう。彼はスタジオでリリック書き始めたんだけど、結局完成しないまま帰って行ったことありました(笑)

------そして取り残された林田さんが途方に暮れたこともありましたね。

H:肥後君の方が大変だったと思う(笑)

------もう懐かしいです。

H:大変だったけど、僕はリラックスした状態で仕事できたし結構面白かった。

------確か最終日は、それまで徹夜すぎたせいもあって、みんな気を失っていましたね。

H:そうそう。

------そんな中で、林田さんがコンピューターに無理矢理日本語をしゃべらせるやつ、何でしたっけ?

H:あれはMacに付いているSpeech Manager。

------それでコンピューターに無理矢理日本語をしゃべらせてましたよね。"統計108"という曲で。「400、とうけいのじかんです」とか

H:テキストを打つと合成音声で喋るんだけど、もともと英語でしゃべらせるソフトだったから日本語っぽく聴かせるにはタイプするスペルに工夫が必要なんだ。彼は使い始めた直後からそのコツをつかんでたよ。さすがだね。

歪曲 cover

Shing02 "歪曲" (2008 Mary Joy)
Shing02のミキシングの助っ人として登場。陥落寸前の砦を最後に救ってくれた人でした。


楽集 cover

Shing02 "歪曲楽集" (2009 Mary Joy)
歪曲アルバムのセッションから、音を更に調整して貰ったので、より聞きやすくなっていると思う。

------「歪曲」ではレコーディングとミックスをShing02自身が担当して、最終ミックスの調整とマスターリングを林田さんに手がけていただきました。

H:やっぱり頭のいい人だから、彼はどんどんスキルに磨きをかけてくるね。彼からは時々メールをもらったりして、何かやってる感じは漠然とわかってはいたけど、ミックスの話が来たのは突然という感じで、作業期間も「400」とはまったく違って急ピッチだった。僕が関わったときにはとりあえずミックスも完成しているような状態だった。

------「歪曲」のミキシング/マスターリングに関わってみて、どんな印象を持ちましたか?

H:トラックの組み立てからしていわゆるヒップホップの枠組みにはまらない部分もあって、僕にとってもすごく新鮮でした。長いつきあいの中で、彼と僕は決してヒップホップというキーワードでつながっている訳ではなくて、それを期待されているわけじゃないこともわかってました。むしろ大事なことは音楽というものに対する観念というか、彼の作ったサウンドに対して僕がどう感じ取るかという部分で彼と共有できるものがあるんです。それはちょっと言葉で言い表せない部分で精神的なものかな。そこを大事にしてます。今回も彼の作ってきた曲のデータを開くと何度も練られた痕跡が随所にあって、そこを見るだけでも彼の思い入れを十分感じ取れた。どういうモチベーションでこの音楽ができているか、ミックスにはそういう音楽の裏にあるものを知ることが大事だと思う。

------信頼関係ですね。

H:それに、なにより彼は僕と違っていろんな友達を作るのが得意だから、今回もいろんな人が参加しているでしょう? あれがすごい!

------コンセプトが人源サンプリングでしたからね。

H:いろんな人の違った感覚が曼荼羅のように絡み合っているけど、そういう絡み合いかたって、通常の制作プロセスではできませんから。自宅でプリプロやってミュージシャン集めてスタジオで録音なんていう普通のプロセスではああいう音楽はうまれないと思うんです。彼は音楽に対して誠実だし、難しいことにも努力して挑んでいくタイプだから、そういう性格がもろに音楽に反映されている気がします。これは尊敬に値します。

------そうですか。

H:うん、ぜったいそう。ミキシングやレコーディングって、一般的には技術的な部分ばかりがピックアップされがちだけど、実は音楽を作るエンジニアにとって最も大事なことは、音楽というものをどう理解しているかというメンタルな部分と、何を格好いいと思っているかというセンスの部分。そういう意味で言うと彼はまったくの合格点だったわけだけど、技術の部分はエンジニアにとってわかってて当然という部分があるのに対して、アーティストにとってはレコーディングの機械を操る技術を身につけるという部分で大きな壁があるわけ。彼はそこをどんどん乗り越えてきたからこういう作品ができたんだと思う。

------「400」は全てレコードからのサンプリングにこだわって、「歪曲」は全て友達のミュージシャンから音を貰って作っているけど、作り方はサンプリングの手法が根底にあるのかなって思います。「400」との大きな違いってどのようなところだったんでしょうか?

H:うん、もちろんその手法というものが影響しているとは思うけど、今回のはより視点がワイドレンジでしょ、時間軸さえ感じられるもん。

------最初のレコーディングから6年かかっていますからね。

H:まさにその感覚が音楽からしみ出てる!

ARP Odyssey

Shing02も多用するアナログ・シンセサイザー「ARP Odyssey」

------制作課程では、Shing02が林田塾で受けたアナログシンセの講座がかなり役立ったと思います。ARP Odyssey(アープ・オデッセ) はかなり多用したと思いますよ。

H:役立っていたらうれしいんだけど、直接僕が使い方を教えたとかそういうことはなかったから、あれは彼自身の努力による結果だったと思うけどね。でもいい感じに仕上がっているからよかった! たしかARP OMNI (アープ・オムニ) の音も使ってるよね。あの音も大好き。美獣のあたりだったかな。いい味出してました。

------ミックスでの音の扱いはいかがでしたか?

H:エンジニア的な視点で言うと、やっぱりサンプリングより生音の方がミックスでの音の扱い方は難しいわけだけど、彼はいろいろミックスの中でやっていました。僕もミックスを手伝わせてもらいはしたけど、あくまで彼のサウンドのイメージに磨きをかけることに注力していて、あえて僕のキャラクターを強調しないミックスを目指したんです。でもそうやってもどうしても僕のキャラクターは出ちゃうんだけど。

------Shing02の出したい音を最大限に尊重してくれた上で、こんなのはどうですか?っていう提案の仕方をしてくれたので、Shing02も最後まで自分の音にこだわりがもてたんだと思います。

H:それはよかった。

------林田さんの最近手がけているプロジェクトを紹介して貰えませんか?

H:最近の僕はMEGARYUPANGという2つのプロジェクトに関わっています。彼らはレゲエ・シーンで有名なアーティストなんだけど、彼らとのレコーディングもまた楽しくやっています。彼らのレコーディングはまた違った面白さがあって、ひねくれた音楽ばかり聴いてきた僕には不釣り合いなくらい彼らの音楽はピュアなんだけど、彼らのやりたいことにはとても賛同してます。

9dw album

9dw "self-titled" (catune 2008)
林田さんがキーボーディスト/エンジニアとして参加しているバンドのアルバム。
www.myspace.com/9dw

9dw album

------テキサスにライブしに行くって言ってましたけど、それはどんなプロジェクトなんですか?

H:僕はエンジニアとしての職業とは別に、9dw (Nine Days Wonder)というバンドでキーボードをちょこっとばかしやっていまして、9dwはシンセサイザーを多用したクロスオーバーな音楽をやっているグループなんだけど。

------拝聴させてもらったのですが、めちゃかっこよかったです。Shing02もこの前、アップルのインストアでDJのときにかけてました。

H:9dwが今月はテキサスのオースティンという場所で行われるSXSWに出演するためにアメリカへ行くことになっているんです。

------SXSWといったらかなり有名なイベントですよね? 世界中から音楽関係者が集まるという…… しかも、メンツが面白いらしいですね。

H:うん、結構有名なアーティストが出ます。オースティンの街全体がお祭りの会場みたいになって、そこいらじゅうのライブハウスでやっているライブをみんなでハシゴするような感じらしいです。

------9dwはどういった経緯で出演することになったのですか?

H:もともと9dwのリーダーでレーベルの主宰者でもある齋藤健介氏がアメリカへ向けていろいろプロモーション活動していて、そんな中でSXSW側に目がとまったらしいです。もちろん呼ばれていくんです(笑)僕らは。

------知ってますよ!(笑)林田さんがんばってきて下さい。

H:ありがとうございます。


林田さんがビンテージ・シンセを紹介したり(マニアな)ブログを書いているホームページ http://www.proun.net/



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