歪曲談集

山口元輝 談話

interview with motoki yamaguchi
by norihiro higo (mary joy)




あっ、この顔見たら、

------自己紹介からお願いしたいのですが、音楽活動はいつから?

山口元輝 (以下M):19かハタチくらいからです。中学の時に生のドラム演奏を初めて観てショックを受けて、少しずつ自分でも叩いていましたが、たぶん活動と言うとハタチとかそれくらいからです。

------その頃に何かきっかけが?

M:まず今でも付き合いのあるミュージシャンとか面白いことやってる人たちに出会ったのが大体その頃です。あとはその時期ことごとくうまくいかないことばかりだったので、むしろ開き直って(音楽に)入り込みました。知らないバンドにひとりで会いに行ったり。
 あとは聴いてた音楽もでかかったです。『サンディニスタ!』のトッパー・ヒードンとか、マックス・ローチのリーダー作とか。うまくいえないけど、ドラムセットのイスに座って、そこから見たら、絶景……みたいな感じで……。彼らのことを自分なりにちゃんと知ってから、ドラムセット、イコール、自分の場所だと信じ込んだ気がします。

------なるほど。それでドラムにかけたと。

M:聴いて救われた音楽はもっともっとありますけどね。近くのミュージシャンでいうと、高校から一緒のギタリストの牧野琢磨にはお世話になってます。僕もやつを、音楽以外で救ったことはあります。

------現在のモトキくんのスタイルの根底には、ジャズの影響を感じるのですが?

M:そうですか。10代の頃に中村達也というジャズ・ドラマーのところに少し通ってました。会った時にいきなり「ジャズ・ドラマーなんて食えないよ? え? フリー・ジャズが好き? あ〜あ……」って言われて……。
昔のジャズには今でも憧れはあります。レコード以外からも学びたいと思ったし。逆に凄い好きな60年代のロックとかソウルはレコードしか聴かなかったですけど。なんかドラマーでも、なんか混ざってる感じのプレイヤーが好きなんですよ。野良(ノラ)マーっていうか。良く分からないけど、別に豪快って意味じゃなく。当時は、そういう人がジャズに多い気がしていたんです。高純度のものはそれはそれですごい快感なんですけど。
 ちなみに中村さんというのはロイ・ヘインズの弟子で、70年代のニューヨークのロフトジャズ・シーンにもいた日本人なんですけど、昔はファラオ・サンダースとか阿部薫とも共演した人で、今でも付き合いがあります。ワガン(・ンジャエ・ローズ)とか津軽三味線の渋谷和生さんとかと一緒に PITINNに出さしてもらったりしました。
 あと年に数回、天気のいい日に「セッションしよう」って電話もらいます。世田谷の区民センターが朝から晩まで安く使えるからそこに沢山打楽器を持ち込んで二人でいろんなことを試したりリハーサルしたり踊ったり……。たまに苦情来ましたけど。僕から見ると、いろんな意味でジャズ・ドラマー像そのもののような人で、習っていた期間よりその後の飲み友達的な関係の方がはるかに長いんだけども、それも含めて面白い経験でしたね。面白い話も色々聞けたし。サニー・マレイを家に泊めた時の話とかやっぱ興奮するじゃないですか!

------ ミーハーですね。

M: はい。まあ自分がどんなリスナーかは、演奏に反映してると思いますね。

takeda-sanの写真
photo by Shungo Takeda

------ところで話は変わりますが、シンゴに会ったのは何歳?

M: 22くらいだったと思います。

------初めて一緒にライブしたのってラフォーレ原宿であったベスタックス主催の"エクストラバガンザ"? 恵比寿MILKだっけ?

M:MILKが最初で、その二日後くらいにラフォーレかな。ラフォーレの時は確か当日、会場斜め向かいのファミレスで急にシンゴ君が「キミ、今日も出てよ」って言ってくれて。それで出ることになって、会場の人にドラムセットを借りて、出た。

------でた、急な話。あれは、『400』LPの前? 後?

M:後。初めて会った時は『400』発売直前くらいの時で、彼が主催した新宿リキッドの”ミュージック・プラネタリウム”ていうイベントの直後ですね、たしか。僕はその頃参加していたグループのライブでニューヨークに行ってて、帰ってから特に何もしていなくて、帰国直後ぐらいにあのイベント行って、すごい感動したんで連絡とったんですよ。

------ 好きです……って?

M:そうそう、まずは友達から……(笑)。で、トントン拍子というか……スタジオに入ろうってことになって、渋谷のリハーサルスタジオに入ったんですよ。そうしたら次の日には、その日録音した音がラフの曲になっているのを聴かせてもらって……それにまた僕がドラムを被せて……みたいなやりとりをしました。かっこいい曲でしたよ。

------どの曲?

M:……お蔵入りしたと思う。"16valves"っていう仮題がついてた。その頃、彼はすごく忙しかったみたいで、何か用事の合間に落ち合って、渋谷のデパ地下の柱の影とかで、かぶせた音を聴かせあってました。

------ 2003年にLive HumanとShing02 Trioでツアーしたけど、その半年前の5月に君と(トップ)ビルさんは『歪曲』用の録音のためにアメリカ行って結果的には"新来"とか"抱擁"のドラムを録音したよね。

M:ビートの土台ができたのは『歪曲新来』発売のあとくらいだと思いますけど、そのあとの'07〜'08年が一番濃かったんじゃないでしょうか。でもまあ、なんというか、傍から勝手に振り返ってますけど、Shing02がトラックに関して、バンドでもサンプリングでもなく、生(なま)にこだわったというのは、人とやりとりしてイメージを作るとか、またはそういうやりとり自体がキーだったんじゃないかな、と思いますね。イメージと場所を共有できていれば、おのずと演奏も変わるとおもうし、その微妙な違いを見るかどうかでフィードバックも変わってくるし。要は素材の出どころじゃなく、それをどう出して、どう扱うか、が面白いわけで。バンドでもHIP HOPでも、そういうのってあると思うんですけど。

------サンプリングのHIP HOPも?

M:はい。この前ビルさんと話してたんですけど、80年代に民生のテープレコーダーを買うお金で、今はその何倍もの制作環境が手に入るじゃないですか。出来ることの数だけで言えば。で、そういう安くて良い環境って、もちろん何でもかんでもじゃないけど、「ひとりで事足りちゃう」と思わせてくれるでしょう? もちろんそれは凄いものですけど、同時に今までとは違う出会い方とか、共同作業の形や場所を求めるのは、すごく積極的な姿勢なんだなあだと、『歪曲』に参加させてもらって、思ったですよ。それは音楽に限らずですよ。

takeda-sanの写真
photo by Shungo Takeda

------わかります。ちょっと話は戻りますが、『400』LPは、ほぼShing02ひとりで全部作れていた訳じゃないですか。トラックも歌詞も。けど『歪曲』には、30余名のアーティストが一枚のアルバムのレコーディングに関わっていて、しかも録音環境というよりはその録音した音の処理の方にこだわりをもっていたわけですよね。例えばアウトボードだったり、古い楽器なんかを使ったりして。モトチップは、ドラムの音の処理に関してはどういう考えを持っていたのですか? 音色とか、鳴りとか。例えば、ザ・ルーツみたくヒップホップっぽくしたかったとか。

M:まだ『歪曲』制作が始まる前、Shing02と、雑談で「サンプル・ループっぽいことはサンプル・ループでやればいい」みたいな話はしてた気がします。実際作業中は「打ち込みっぽく」とか「生っぽく」というのではなく、録音する音やフレーズから何を引き出せるか、みたいなことは意識してました。
 例えば"渇望"という曲のドラムは、アルバムのコンセプトを話してもらっているうちに頭に浮かんだイメージの1つで、前ノメった二次元ファンク、みたいな雰囲気を膨らませたら面白いかな、とか。当時はジャー・ウーブルとか80'sのイギリスのインディー・コールドファンクのまじめな感じにはまってたというのもあるんですけど。生演奏する側が、生「っぽさ」を意識するって何かヘンだと思うし。ヴェクトルオメガの手腕で、"渇望"に限らず「打ち込みでよくね?」にも「オーセンティックなファンク」にもなっていないから、そこはよかったと思ってますけど。ライブはまた別ですけどね。

------なるほど。ちなみに焦燥は、モトキがリーダーとしてプロデュースした曲ですね。あの曲はメトロノームの音が印象的ですが。

M:町田の実家にあった木製のメトロノームの音にプラス、ちょっと泳ぐようなドラムを録って、まどろんでいるようなデモトラックが出来て……。

------けだるい日曜の午後的な。

M:そう。メトロノームとドラムのそういうアイデアがあって。でもシンゴ君はちょっと僕と違うイメージがあったみたいで結果的にああなりました。そういう変化が楽しかったし、よかったです。

------違うイメージとは?

M:例えば、僕が彼にデモ渡した時はドラム音は遠かったんだけど、ドラムスのエッジをたてていくと、まどろんでいたはずのメトロノームが時限装置みたいに聴こえてきて……。

いじめの実態

------なんかわかる。

M:そのあとにミスターDOC MAXの細かいシンセベースが乗ってきて、下書きの歌詞を見せてもらったとき、(曲の方向は)きまったと思います。ミュージシャンと色々対話してバーっと録音して、目の前にあるビートの顔とか、肝(きも)を見つけて方向を定めていく作業といいますか、ヴェクトル・オメガさんはそういうのを見つけるのが速いんですよ。だから制作期間は長いけどインストゥルメンタルの編集とかミックスの実作業はけっこう短期集中だったと思います。コズミック・ルネッサンスもありましたしね。次がどうなるのかも、楽しみにしてます。

------はい。では最後にモトキの近況を教えてください。

M:年が明けてからは、主には自分の制作のことを考えてて、今年中には何とかします。あとはライブイベントをやりたいと思ってて、今はちょっとずつその準備もしています。色んな人に助けを借ります! 最近は周りの面白い人たちが、都内にいいスペースを沢山立ち上げてるんですよ。

(2008年2月8日)





山口元輝の生態について、詳しくは、
http://d.hatena.ne.jp/motoki-yamaguchi/



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